地域づくりブログ

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地震で被災したマンションの維持管理のススメ方とは?

 藤野さんはマンション管理士として活動されています。法律やマンション内の住民コミュニケーションなどに明るく、普段は福岡市内のマンション管理の顧問などをされていますが、現在、熊本地震で被災したマンションの管理にも携われています。被災マンションの維持管理がどのように進められているのか、その取組状況について伺いました。マンションの防災組織のあり方などについてもお話いただきましたが、今回はマンション躯体(建物)の話に絞って紹介します。

◯被災マンションの早期の取り組みの必要性

 地震の被害を受けたとき、被災者が何を思うかというと、「このマンション住めるのか」、「赤紙ってどういう意味?」、「お金はどうすればいいの?」ということに尽きる。これに悩んでいるだけで2か月ぐらいがすぐ過ぎてしまう。

 熊本地震で被災したマンションの数は明らかではないが、罹災(りさい)証明で全壊と認定されたマンション棟数は18棟となっている。柱が損壊し、一階が失われたようなマンションであれば、あきらめもつき、解体に向けた協議が進むのだが、問題は直せるレベルの被害の場合である。鉄筋がむき出しになるぐらいの被害は、新耐震のマンションでも起こりうる。実際にそういう被害のマンションが熊本でも多いのが現状である。私が関わっているマンションでも同様の被害を受けて、現在復旧工事の見積もりを取っている段階である。築20数年の50戸前後で一億数千万の見積もりが出そうである。ただ、地震後1年半ほど居住しておらず、給水管や排水管を使用していなかったため、ライフラインの復旧費用や耐震診断も必要であり、さらに費用が高額になる可能性がある。

 被災マンションの対応は、行政も後手に回っており、地震後の混乱で罹災証明の連絡などの初動がどうしても遅れてしまう。初動が遅れ、検討期間が長くなれば、工事業者も確保が難しくなり、工事費も高額となってしまう。住民の生活再建のためにも早期の復旧はかかせないのだが、そのためには被災した場合の対応について、事前に知識を持っておくことが重要になる。

◯被災マンションの診断は4種類

 地震を受けた時の建物の評価を行う診断は実は少ない。「応急危険度判定」、「罹災証明」、「被災度区分判定」、それと「地震保険」の4つである。応急危険度判定は二次災害の予防のため、地震後すぐに行われる。赤紙(危険)、黄紙(要注意)、緑紙(調査済)の判定が行われ、これは拒否できない。罹災証明はお願いしないと来てくれないが、無料で診断してくれる。全壊、大規模半壊、半壊、一部損壊の4区分である。

 罹災証明は行政からの支援をもらうために必要なものである。被災度区分判定は、建物を復旧できるかどうかを見るものである。これは有償になる。合意形成がスムーズに行くマンションでは、この判定を経ず、復旧工事に舵を切る事もある。地震保険はマンション総合保険にオプションで加入する保険だが、地震保険の認定を請求すると保険金算定のために鑑定人が派遣され、そのマンションの損傷具合を診断する。全損としての場合でも付保割合(保険金の掛け率)を低くしてしまうと、もらえる保険金がかなり少なくなる。そうしたところも注意しておく必要がある。地震の判定は、この4つしかないので、それぞれの判定の役割をきちんと理解しておく必要がある。

 

被災建築物の診断の種類と判定内容

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◯復旧や建替えに向けた手順

 被災度区分判定で、「軽微」、「小破」と診断された場合は、すぐに復旧に向けて動き出すのだが、問題は「中破」、「大破」と診断された場合である。この場合、復旧は可能なのだが、費用がどれくらいかかるかが問題となる。詳細調査と概算費用の算出が必要になるが、これにもお金がかかる。法的には必要な調査ではないが、合意形成のために必要なものである。

 手順としては、まず被災度区分判定を行うかについての総会が必要であり、議決後、調査を行い、結果の報告会と兼ねて詳細調査を実施するかについての総会が必要となる(調査費が数百万円と高額なため)。その後は、「復旧」するか「取り壊し」するかをいきなり決めるのではなく、復旧推進決議もしくは取り壊し推進決議(管理組合として、決議に向けて本格的な計画の検討を行う旨の決議)を行う。

 区分所有法は敷地売却を想定していないのだが、被災マンション法の適用を受ければ行えるようになった。熊本の場合は、昨年10月5日に被災マンション法が適用されたので、「取り壊し敷地売却」「建物敷地売却」「建物取壊し」「建替え」の決議が行えるようになる。被災度区分判定で「倒壊」という判定が出れば、「敷地売却」か「再建」を選ぶことになる(全壊の場合は建替えを再建という)。ここまでは敷地共有者の5分の4の同意が必要となる。管理組合の理事会は存在しないことになっているため、敷地共有者で新たな団体をつくって行うことになる。

 公費で解体を行うためには、申込みのタイムリミッドがあり、全員の同意書が必要となる。「建替え」と「敷地売却」の場合は、建替えを行う事業者や売却先までを決め、詳細な計画まで決議を取らないといけない。時間的余裕がないため、とりあえず、取り壊しの決議を行い、申込みを行った上で、再度建替えか敷地売却かを決めて総会を行うことが多いようだ。被災マンション法の適用から3年以内に決める必要があり、期間を過ぎると被災マンション法の適用がなくなり、手続きが非常に困難になってしまう。熊本では、後2年以内に決めてしまわないといけない。反対者も含めて全員の同意書を集めるのはハードルが高いため、本当に全員分必要かどうかについては、行政との協議を行っている。このあたりの手続きは法律的にもかなり難しい。阪神淡路大震災でも裁判になっているのはこのあたりである。法律違反がないように慎重に進めないといけない。

 

被災マンションの復旧・取壊しの手順

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◯住宅への支援制度について

 住宅に関する支援もいろいろある。災害見舞い金は全壊で5万円、大規模半壊・半壊で3万円ほどでる。このときに罹災証明が基準となる。日本財団による住宅損壊見舞金が全壊・大規模半壊の世帯に20万円でている。災害義援金は熊本の場合、全壊で82万円。大規模半壊で41万円だった(平成29年4月現在)。なお、東日本大震災の場合は全壊で112万円だった(平成29年8月現在)。また、一部損壊の住宅で、修理費用100万円以上かかったところには10万円の義援金がでる。マンションの場合、共用部の改修の自己負担額の合計が100万円を超える場合は対象となる。

 被災者生活再建支援金は、全壊で100万円、大規模半壊で50万円でている。新築する場合、全壊だとさらに200万円、補修の場合は100万円がでている(大規模半壊は新築で100万円、補修で50万円)。

 被災住宅の応急修理というのがあり、修理費用が57万円でる。ただし、居住するための費用なので、みなし仮設などに入居するともらえない。トイレ、玄関ドア、お風呂などの工事で出るのだが、マンションの場合は、共用部の配管修理などが必要な場合もあるため、管理組合が代表して申請することが可能である。

 住宅の支援は、居住のための支援であり、経済的な損失の支援ではないため、同じマンションでも賃貸部分はもらえない。被災住宅の応急修理にしても、管理組合で代表して申請しても賃貸部分の人やマンションを出てみなし仮設に入居した人はもらえないということになる。あるマンションでは、被災住宅の応急修理の費用の半分は共用部の修理に使い、残り半分は個人のトイレ修理などに使うということを行っている。しかし、こうした情報の周知や合意形成はかなり高度であり、日頃からのコミュニケーションや防災意識を持っていないとなかなか難しい。支援については行政側もまだまだ手探りで行っている状況である。

◯事前の情報収集と情報共有から

 以上が藤野さんのお話です。被災マンションの対応は、一度聞いただけでは全部は理解しきれない内容でした。私自身もこの記事を書くために、なんども聞き直しして、ようやく理解できた部分も多くあります。ゼミの参加者からは「応急修理の費用を一部の住民がもらった場合、公費解体できるのだろうか?」という質問も出ましたが、藤野さんも確認しないとわからないこともまだまだあるようです。

 こうした内容を被災時の混乱の最中に理解し、マンション住民の方々と共有した上で、限られた時間内で決断していくことは困難を極めると思いました。実際に合意形成を急ぐあまりに、内容が不十分な計画を作ってしまい、結局やり直しになったケースもあるそうです。

 マンションは戸数が多く、避難場所にいくと満杯になってしまうため、自分たちで生活再建も行っていかないといけません。マンションという財産を共有しており、集落や戸建ての住宅地よりも高度な自治機能が要求されます。しかし、実態は隣人の顔も知らないぐらい人間関係は希薄であり、管理組合も管理会社に依存しているような状況です。被災後の右も左もわからないような状況の中、余計な不信感を生まないためにも、事前の情報共有や準備が必要だと感じました。

 それ以上に、普段から住民とのコミュニケーションを図り、人間関係や信頼関係を築いておかないと、いざというときに動けません。地域の祭りや直会など、住民の人たちで何か一緒にイベントや活動をすることの重要性も感じました。早く動けるかどうかは、地震前の準備で決まっています。まず、自分がやれることとして、自分のマンションでも藤野さんを呼んだ勉強会を提案してみようかと思います。

 

 

「不動産業から家主へ」買取り運用による博多町家再生の取り組み

 

 博多に新しくできたゲストハウス「B&C Gakubuchi」の改修工事を手伝いにいったときのことでした。私の隣で、壁塗りを手伝いながら、成年後見人制度や相続のことを携帯電話で話をしている人がいました。どんな人だろうと気になっていると、ゲストハウスの人からお部屋を紹介してくれた不動産屋さんだと紹介されました。それが小林さんでした。

 不動産業者が借主のDIYを手伝うのは珍しいと思い、話を聞いてみると、古民家物件を自ら買取って、リノベーション(小林さんは再生と表現しています)して貸し出しているとのこと。片付けなども自分たちで行っているそうで、壁塗りの手伝いをしているのも納得です。「B&C Gakubuchi」の建物は、別にオーナーがいるそうですが、自ら物件を買取って運用する取り組みは、非常に興味深かったので、話をお聞きしました。

 

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小林さんと私が出会ったB&C Gakubuchi

 

◯祖母に断れてからの不動産業の創業

 小林さんは、以前東京で土木関連のソフトウェア開発会社に務められていたそうです。相当稼ぎはよかったそうですが、寝る間もないくらい働いて、疲れてリタイアされたそうです。

 「地元が博多区の神屋町なんです。祖母が家業で不動産業をしているので、家業を継ごうかなと福岡に戻ってきました。しかし、会社を辞めて戻ってくると、祖母からは今更若い人と仕事できないし、払う給料もないと断られまして…」と、アテが外れてしまったそうです。別の不動産会社に勤めてみたそうですが、「不動産業を実際やったことがなかったので、外で勉強しようと思ったのですが、3日間仕事してみて、これであれば自分でやれるかなと思いまして…」と、すぐに辞めてしまったそうです。結局自ら不動産会社である「㈱福岡宅建」を創業されます。

 「ゼロからの創業であったため、仕事がなくて、生活が不安定で、その打開策として、不動産取引の当事者である家主になりたかったですね。ただなかなか銀行からお金を借りることができなくて。そんな中、当時テレビで『劇的ビフォーアフター』や『ドリームハウス』などが流行っていました。わけあり物件の改修工事、建物の再生、奇抜なアイデアの建築等、テレビではこういったものが多く放映されていました。私もそれらを見ながら、自分でもできそうだな。やってみたいなとその熱意を温めていました」といわれるように、古い建物を建替えずに再生する取り組みがメディアを通じて認知されつつある状況でした。

 そんなとき、知り合いから「私の物件を買わないか」と声をかけてもらいます。物件も見ずに即答で購入を決めたそうです。「購入した後に初めて物件を見ました。中に入ると、スナックとして使われていたらしく、昼でも真っ暗でした。2階の床は傾いているし、天井からゴキブリが降ってくるんですよ」と、私たちからすると廃屋同然のような物件を、確かめずによく購入したと思うのですが、「自分の初めての物件ですから、嬉しくてですね。近所に挨拶廻りにいったんですが、トタンの音がうるさい、倒れそうで怖い、猫屋敷をどうにかしてほしいとクレームの雨あられでした」と笑いながら話していましたが、周りの人からも相当な危険家屋と見られていたようです。それだけに物件はそれ相応だったようですが購入後の改修資金がありません。運転資金を切り詰めて、改修費を工面したそうです。この物件の購入と改修を期に、古民家の再生を手がけられるようになります。

 

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福岡宅建が入る再生古民家。隣はフレンチのレストラン

 

◯壊しながら使い方を考える

 これまで建築に関わってことがないのに、どうやって改修を進めたのでしょうか。「テレビでは、最初にバールで壁やら天井を壊すんです。気持ちよさそうだと思って、自分でやりました。そうすると、建物の構造などがよくわかります。どうやって作られているとか、すごく勉強にもなります。また、壊している中、どうのように建物を再生したら面白くなるだろうかと色々とイメージが湧いてきます」

 小林さんは、基本的に設計士は入れずに、水道や電気などの工事を職人に個別発注しながら、改修します。工務店の役割を自ら担っています。「見積もりは取りましたが、その根拠がわかりませんでした。安いのか、高いのかも。また、工事によってはその工事自体が必要なのかも判断できませんでした。梁や天井裏、基礎が見えないのにどうして見積もれるのだろうと思って、お金も潤沢に有りませんでしたし、自分でやるようになりました」できるだけDIYで行うことで、工事費が下がる効果もあるようです。小林さんの手がけた物件は、基本的に柱を見える真壁と天井をむき出しにて小屋組みを見せるようにしているそうです。木の温かみや天井高さの開放感が生まれる一方で、空調などの効きが悪くなり、光熱費がかさみますが、建物の維持管理にはとてもいいようです。

 「最初に購入した物件がたまたま木造だったのですが、今考えると木造でよかったと思います。木造は部分的な柱の入れ替えなども鉄筋コンクリートと比べて容易ですし、階段の取替や間取りの変更なども比較的容易にできると思います」「私の場合、改修後はほとんどテナント向けに貸出しています。多くの人に触れてもらえるし、趣のある古民家でお店を作れると借手にも喜ばれるということが大きいですね」

 博多の町家も多分に漏れず、間口が狭く、うなぎの寝床のようなところがほとんどです。建替えれば、街の趣きが失われるだけでなく、建築面積も狭くなってしまいます。防火地域であれば、雰囲気のある木造建物を商売用に建築する事は難しいです。また、御供所という場所は、天神や博多駅からもアクセスがよく、飲食店などの立地も見られる地域でした。土地柄としてもリノベーションとの相性が良かったようです。

 「最初に購入した金屋小路の町家は、家賃収入から経費を引いた表面利回りが15%強です。これには建物の購入費と改修費の返済も含まれます。今、中古物件の利回りは6〜7%、新築は5%を切る場合もありますから、かなりの高利回りです。改修費も7年ぐらいでペイできます」といわれるように、ビジネスとしてもメリットの高い取り組みとなっています。

 

◯古民家に多いシロアリのトラブル

 ただ、家主業はいいことばかりではありません。不動産は経年劣化していくので、維持、保全が必要です。そのための時間やお金もかかります。突然シロアリが出てきたり、水道管が破裂したりするトラブルもあります。

 「古民家の場合、どんなトラブルがいつ起きるか想定できません。そのため、全ての契約を定期借家契約にしています。契約期間中に建物の不具合が出れば、営業をストップしないといけなくなります。そうするとオーナーは営業保証をしなくてはならないケースもあります。オーナーが途中にメンテナンスを行えるようにするためにも、定期借家契約が必要なんです」

 「それでも、契約の更新前に、シロアリでトラブルになるケースがありました」といわれるように木造古民家のシロアリはどうしても切り離せない問題です。テナントとして貸し出す場合のリスクの大きさは住宅以上だと感じました。

 

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話をしていただいた小林さん。古民家再生で御供所の雰囲気が変わりつつある

 

◯「とにかくやってみる」の見本みたいな人

 不動産業を始めてから現在で12年目。これまで6棟を買い取り、運用を行っています。また、古民家を所有するオーナーからの相談も増え、仲介や管理物件も増えています。

 小林さんは基本銀行からの融資を借り入れる事で不動産を購入しています。件数も増えているので、それなりに借入金も増えているようです。また、これからも積極的に件数を増やしていきたいそうです。よくそれだけのリスクを負えるなと思いますが、その背景には堅実なビジネスモデルがありました。

 「私が手掛ける古民家のような物件を運用する場合は、改修工事を先に行わず、借り手(利用者)を先に見つけています。だいたいの家賃条件などを設定して早々に募集をかけます。条件には家主がこんな建物として利用してもらいたい。こんな使い方(業種)をしてもらいたい。古民家の雰囲気は残してもらいたいなどのイメージを伝え、家主はここまで改修に手を加えますと説明をします」初めてのお客さんの中には、改修後の建物のイメージができず、契約できない人もいるそうですが、このプロセスを通じて家主の意向に沿った借り主を選定できるそうです。

 「マッチングを先行して、まずお客さんを探します。お客がつけば、改修工事の費用負担割合を決めます。家主がどこまで改修工事をするか、引き渡しの状態によって家賃をいくらにするか、契約内容をどうするかを先に決めてしまいます」「お客が決まれば、おおよその事業計画もつくれます。家賃収入が見込めれば、改修工事費用に銀行もお金を貸してくれます。この時点で事業計画をある程度つくってしまっています。先にお金を突っ込んだり、物件を塩漬けしたりすることなく、運用ができていると思っています」既存の概念に囚われない新しい不動産事業の一つのモデルだと思いました。

 「ボクは、お店に来た人がお客だとは思っていません。実際にその日は物件を紹介せずに一度帰ってもらいます。そのかわり、要望を聞いて調べて、後日調整した日に10件ぐらいをまとめてみせたりします」と付き合い方も独特です。合う人と合わない人に分かれるそうですが、徹底的に付き合うスタンスも魅力だと思いました。来年には糸島に移住し、郊外での建物の再生・再利用にもチャレンジしたいとのこと。農業にも興味があるそうです。私と同世代で子育て中ですが、独立しながら攻めの姿勢を貫き続ける小林さんを見ていると、やらないことの言い訳はまったくできないと思います。とにかくやってみる、やりながら考えるという見本のような人でした。

朝倉市の災害ボランティアに行ってきました

◯土日に参加してほしい災害ボランティア

 8月24日(金)に朝倉市の災害ボランティアに参加してきました。何かお手伝いをしたいと思いながら、ようやく行動に移せました。平日が人不足だろうと思ったのですが、金曜日ということもあり、700人が参加していました。現地のスタッフによると、被災者からの要請は土日希望が多く、作業もたくさんあるそうです。被災者の方々も日常の生活があり、平日は片付けまで手が回らないのかもしれません。

 

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災害ボランティアの人数は、平日と比べて土日の減少が目立っている

 

 朝倉市ボランティアセンターは、杷木パレスという元パチンコ屋に開設しています。バスを乗り継いで参加したのですが、公共交通を使った参加者は皆無でした。10時前に到着したのですが、すでに200人以上が集まっていました。受付後、初めての参加者は注意点などのガイダンスを受けます。

 長靴などが新しく、初めて参加する人が多い印象でした。大学生などのグループや50~60代の個人参加者が多く、30~40代の同世代は少ないようでした。ガイダンスの担当者は沖縄から来たボランティアでした。

 よくみると運営スタッフもみんなボランティアです。交通整理、受付、ガイダンス、運転手、道具の貸出、電話対応など、実に多様な業務があります。また、場所の提供やテント、軽トラやスコップなどの資材、水やお茶などの備品提供など、様々なボランティアのカタチがあるのだなと改めて感じました。

 ガイダンス後は、業務とのマッチングです。一応先着順なのですが、作業に応じて選択できます。内容に納得した上で手伝ってほしいという事務局側の配慮が伺えました。

 

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ボランティア作業のマッチングを待つ様子。ここで1時間ぐらい待機

 

◯被災された方の気持ちに寄り添った支援のあり方を考えさせられる

 この日は午前中に雨が降り、復旧が遅れている被災地に入れなくなっため、手伝えることが限られていました。そのため、私たちは片付けがほとんど終わった地区を手伝いました。それでも雨を含んだ泥のかき出しは大変です。

 男性10人いたので、すぐ終わると思ったのですが、結局全部を片付けることができませんでした。現地に入ったのが11時半。14時には作業を終了したので、2時間半の作業です。正直、物足りなかったし、片付けきれずに申し訳なく思いましたが、依頼者のご夫婦から「本当はもう片付けを諦めていたんです。だからほんとに感謝しています」と言われてほっとしました。

 被害がまだ残っている地域に入りたい、もっと長く作業したい、最後までやりたいというのは自分の欲であって、被災者の立場に立っていませんでした。1ヶ月近く放置された泥が少しでも片付く。少しでも前に進むことが被災された方々にはありがたいことなのだと気付かされました。

 この地区は床下浸水で済んだそうですが、この災害を機会に施設に入居したり、子どもの家に移り済んだりして空家になったところが4軒あるそうです。「盆綱引きもできませんでした」と寂しそうに話すお母さんの横顔を見ながら、片付けが落ち着いたら、終わりなのではなく、ようやくスタートラインなんだと思いました。

 現地にほんのわずかな時間しか滞在していませんが、いろいろと考えさせられます。仕事柄、長い目線で考えることが多いので、どうしても片付け後のケアをどうしていくのかが気になります。ずっとはムリでも、少しでも関わること、お役に立てることがあるのではないか。今回のお手伝いを通じて、微力の可能性を感じました。少しでも時間を見つけて、また通いたいと思います。

(被災地での写真は撮影していません)

十分な準備 - 全社協 被災地支援・災害ボランティア情報

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水害作業マニュアル。「被災された方の気持ちやペースに合わせよう/お話をたっぷり聞こう」というのは本当に大切だと痛感。

「巻き込む」のではなく「地域を頼る」コトおこし

 内山節さんに一度お会いしたことがあります。当時の糸島の仲間が、著書を貸してくれ、会合で紹介してくれました。「半市場経済」の価値観を学んだのはそのときです。自分の価値観と近い人たちがそばにいる。それを知ることができただけでも幸せでした。

 「半市場経済」とは、市場価値だけでなく、「おすそ分け」などの無形の価値を見直すこと。言い換えると他人との付き合いや信頼関係の価値を見直すことだと思います。

 都会の人の発想だと田舎にいても「こういうことを実現したい」という自己中心的な考え方になりがちです。でも田舎の人は、地域のために自分はどう役立てるかをまず考えているように思います。「住民を巻き込む」のではなく、「地域を頼って」コトを始めること、半市場経済下ではそうしたスタンスが必要だと思いました。

 「半市場経済」は、社会的な意義を大切にするので、収益性や効率性を強く求めません。しかし、継続性を考えると事業として取り組む必要があります。副業的でもよいので、地域の方々と事業を興したい、事業を通じて地域の自立に貢献したいというのが、私の思いです。主人公は地元の人たちであり、自分はあくまで裏方なのだということを意識しながら、自分なりに実践していきたいと思っています。

 

 

14年前の沖ノ島体験を振り返る

 「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の世界遺産登録が決まったそうです。私も宗像市の観光計画や世界遺産に登録された際の観光客の影響調査などで関わらせていただいたので、うれしく思います。

 でも、沖ノ島は未だに一般人が立ち寄ることのできない「神宿る島」。その様子を語られることはほとんどありません。

 ただ年に1度、5月27日に開催される沖ノ島現地大祭は、唯一、一般の人の入島が許される日(ただし男性のみ)。2003年のその日、ボクは地域づくりのメンバーと一緒に沖ノ島の現地大祭に参加したことをニュースを見ながら思い出しました。

 探してみると、写真もけっこう残っているものです。せっかくなので、沖ノ島の様子を振り返ってみたいと思います。沖ノ島の雰囲気が伝われば、さいわいです。

 

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 現地大祭は前日から始まります。大島の中津宮に夕方集まり、受付と漁船の班分けが行わます。200人以上は集まっていたでしょうか。ちなみに、このときははがきで申し込んで、当選しました。

 

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 漁船で島に渡る人たちは、救命胴衣もこの時に借りていました。その日は島内の旅館に泊まり、朝の出発に備えます。

 

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 朝は6時半ぐらいに出発。ボクは運良く旅客船だったので、救命胴衣も不要でした。漁船に乗った人たちは、波の揺れがひどくて大変だったとか。

 

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 客船からみる漁船。客船より漁船の方がかなり到着が早かった記憶があります。ただ揺れまくり、濡れまくりだったそうです。天気は快晴でした。

 

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 2時間ぐらいかかって、いよいよ上陸。山伏の姿も見られます。このとき、三重県鹿児島県、北海道などからも参加がありました。外国人の姿はなかったです。

 

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 沖ノ島は全体が宗像大社の社有地です。女人禁制や草木の持ち帰りなどが禁じられています。

 

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 そして、入島者は全員、禊(みそぎ)をしないと島の土を踏めません。堤防は人工的に後からつくったので、禊前でも上陸できます。

 

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 服を着直して、いざ入島。

 

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 島の沿岸部をみるとこんな感じ。

 

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 島の奥は当然のことながら原生林。その中に鎮座する沖津宮で、現地大祭が執り行われます。

 

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 現地大祭の時間はおよそ1時間ぐらい。つまりそのくらいの時間しか島に滞在できません。せっかくなので沖ノ島一体を展望できるところまで登ってみました。

 

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 山頂には大きな灯台もありました(糸乘さん若いなぁ)。

 

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 沖ノ島から唯一持ち出せるのが水です。ただし、お祓いして清めてもらわないといけません。

 

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 海岸に戻ると、地元の漁師さんによる直会(なおらい)が行われていました。

 

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 参加者みんなで地魚の煮付けや刺し身をいただきました。ビールやお酒を飲んでいる写真もありましたけど、たぶん有料で売っていたように思います。

  

 以上が、ボクが14年前に体験した沖ノ島現地大祭です。女人禁制なので、参加者の奥様などが大島から見送っていたことも思い出しました。

 もう一度、行ってみたい思いはありますが、抽選の倍率は今ではとんでもなく高くなっているので、当選する気がしません。でも、このままで有り続けてほしいと思います。

 

都心居住で単身世帯が増える地域

 中洲界隈で近年マンションが目立つので、古門戸町須崎町での立地状況を調べてみました。1982年と比べるとマンションが非常に増えていることがわかります。そのほとんどがワンルームマンションです。歩いて天神に行ける立地の良さと地価の安さから、車を持たない学生・サラリーマンやお年寄りなどの単身者の需要にマッチしたようです。ただ、地元の人に話を聞くと、マンション住民と地域との関わりはほとんどないとのこと。一方、地元は山笠などの祭りを通じて“立ち話が多い”というほどコミュニティがしっかりしています。地元を離れても、山笠の役員などの関わりを持つ人も多いそうです。地域内に住んでいても地元と関わりがなく、地域外に住んでいても地元と関わっている。須崎町古門戸町も人口は増えていますが、ただ人口が増えればいいものなのか?地域とは何か?と改めて考えさせられます。

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古門戸町須崎町ではワンルームマンションが増加

 

 このエリアで開発が盛んになりだした1995年と2015年の人口を較べてみると、古門戸町須崎町も人口はかなり増えています。高齢化率は須崎町で若干上がっているものの、20%を切っているので、高齢化はほとんど進んでいない状況です。
驚いたのは、1世帯あたりの人数がどちらも1人台前半であり、単身世帯が非常に多くなっていることです。ワンルームマンションが多いことが統計からも伺えます。

 

 古門戸町須崎町の人口比較(国勢調査より)

町名 人口 65歳以上
人口
高齢化率 世帯数 1世帯人数
古門戸町 1995 597 137 22.9% 287 2.08
2015 1,161 215 18.5% 835 1.39
須崎町 1995 870 150 17.2% 475 1.83
2015 1,148 228 19.9% 925 1.24

 
 このエリアは埋蔵文化財包蔵地となっており、1~2年ほどの調査期間が必要となり、調査も事業者負担となるため、ファミリー向けのマンションは事業性が厳しいそうです。数少ないファミリー向けマンションには、地元の居住者が多く、今でも入居待ちをしている人がいるくらいなのだそうです。山笠に参加したのが縁で、ここに移住したい、子育てをしたいという声もあるそうですが、物件がほとんどないのが実情だそうです。
 一方で、都市部ゆえに住宅を相続する際の高額な相続税が払えず、土地や建物を手放さなければならない状況も生じています。ファミリーマンションを建ててほしいという地元の思いとは裏腹に、事業者がワンルームマンションの建設を申請してきても、法令を遵守していれば、断るすべが地域には存在しません。
民間ベースの経済性・効率性一辺倒の開発によって、顔の見えない隣人が増えていくことが果たして地域の活性化につながるのだろうかと疑問に思います。地域とのつきあいを生むような丁寧なまちづくりを都市計画や土地利用の制度にも組み込めないものだろうかという思いを強くしました。 

市民の意識が変わった。村上の「町屋の人形さま巡り」の取り組み

 5月中旬に、町屋の再生や人形さま巡りなどの取り組みを行っている村上市を視察させてもらいました。村上市といえば、〆張鶴などの日本酒と塩引鮭で有名な“さけ”のまちです。

 町屋の店内に何百匹もの干し鮭が吊された「千年鮭きっかわ」。こうした町屋の“ナカ”の魅力を“ソト”に発信しようと人形さま巡りや屏風まつりなどに取り組まれたのが吉川社長です。きっかわのスタッフで、ゲストハウス開業合宿の仲間でもある高橋典子さんの紹介で、たった3人での視察にも関わらず、社長のお話を伺わせていただきました。

 

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きっかわの天井に吊るされた塩引き鮭。その姿は圧巻

 

 その開口一番「実はまちづくりにまったく興味がなかったんです」と言われたのには驚きました。実は伺う前に、高橋さんと黒塀や町屋再生プロジェクトなどの取り組みや「春の庭百景めぐり」で開放されたお寺の庭などをまち歩きさせてもらい、そのプロジェクト数やスピード感、情熱に圧倒されていたからです。

 以前は商店街の会合で発言もせず、汗もかいてこなかったという吉川さんがどうして村上のまちづくりに取り組みだしたのか、そこには全国町並み保存連盟会長であった五十嵐大祐氏との出会いがありました。

 「商店街の道路を拡幅すれば、町は必ず衰退する。あなたがやめさせなさい」といわれ、その夜に一睡もできずに悩んだそうです。私も地域に関わっていますが、まちのことを自分事としてそこまで深く受け止められるかと言われると自信がありません。

 道路拡幅の反対署名運動をして、商店街から村八分にあってもめげず、今度は人形さま巡りの実現に向けて奔走する。一度決心したら、なんとしてでも実現に向けて動きを止めない芯の強さを感じました。

 「朝まで悩んだとき、自分のことはどうでもいいと思えたんですね。もっと価値あるものに気づくと心が楽になったんです」と、昔、村上のために奔走していた父親の姿を思い出し、村上の町屋の価値に気づいた吉川さんの活動はそのときから始まりました。

 

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吉川さんに町屋再生の取り組みを紹介していただく。その1軒1軒に物語が詰まっている

 

 視察の際にいただいた一冊の本。「町屋と人形さまの町おこし」には、村上のこれまでの取り組みが詳細に描かれています。具体的な中身については、ぜひこちらを読んでいただきたいです。吉川さんと二人三脚でまちづくりを行ってきた奥様が、本人とはまた違う切り口で書かれていますので、その一部を紹介します。

 人形さま巡りの期間が長過ぎて大変だったという地元の声や一回目の成功をみて、仲間に加えてほしいという駅前商店街の要望に対して、催しの魅力を維持するため、吉川さんは和を良しとはしませんでした。そのため、仲間内からも「あいつは人の話を聞かない」と言われ、第二回の人形さま巡りが大成功する裏で、吉川さん本人は最高につらい状態にあったそうです。「自分一人で突き進んでいくことは得意であっても、市民の組織をまとめるという初めての仕事は吉川にとって非常に難しく、精神的な負担のかかることであった」というのは奥様ならでは意見だと思いました。

 また催しを通じて、お客さまに説明する地元のお年寄りたちが次々と元気になったことや屏風まつりが蔵の中身の家庭内伝承につながったこと、名も無き市民がゴミ拾いをしてくれたことなど、表には現れていない成果が数多く生まれたことについても触れられています。

 この本を読みながら、黒塀や町屋の再生で村上の景観が変わり、来訪者が増えたことは当然すばらしい成果ですが、むしろ私は、来訪者によって市民の方々が町屋の価値を再発見し、自ら行動を起こすようになった意識変化こそが何よりの成果ではないかと思いました。他人依存、行政依存ではなく、自らできることを行動に移そうという意識変化をどうすればプロジェクトで導けるか。とても大切な「問い」を教えてもらいました。

町屋と人形さまの町おこし

町屋と人形さまの町おこし

 

まちづくりのプロジェクトに関わる人にはぜひ読んでほしい一冊(2016年に増補版)