地域づくりブログ

地域を愛し、誇りを持って働き、暮らし、輝いている地域人(ちいきびと)の物語を紡ぎたい。

「巻き込む」のではなく「地域を頼る」コトおこし

 内山節さんに一度お会いしたことがあります。当時の糸島の仲間が、著書を貸してくれ、会合で紹介してくれました。「半市場経済」の価値観を学んだのはそのときです。自分の価値観と近い人たちがそばにいる。それを知ることができただけでも幸せでした。

 「半市場経済」とは、市場価値だけでなく、「おすそ分け」などの無形の価値を見直すこと。言い換えると他人との付き合いや信頼関係の価値を見直すことだと思います。

 都会の人の発想だと田舎にいても「こういうことを実現したい」という自己中心的な考え方になりがちです。でも田舎の人は、地域のために自分はどう役立てるかをまず考えているように思います。「住民を巻き込む」のではなく、「地域を頼って」コトを始めること、半市場経済下ではそうしたスタンスが必要だと思いました。

 「半市場経済」は、社会的な意義を大切にするので、収益性や効率性を強く求めません。しかし、継続性を考えると事業として取り組む必要があります。副業的でもよいので、地域の方々と事業を興したい、事業を通じて地域の自立に貢献したいというのが、私の思いです。主人公は地元の人たちであり、自分はあくまで裏方なのだということを意識しながら、自分なりに実践していきたいと思っています。

 

 

14年前の沖ノ島体験を振り返る

 「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の世界遺産登録が決まったそうです。私も宗像市の観光計画や世界遺産に登録された際の観光客の影響調査などで関わらせていただいたので、うれしく思います。

 でも、沖ノ島は未だに一般人が立ち寄ることのできない「神宿る島」。その様子を語られることはほとんどありません。

 ただ年に1度、5月27日に開催される沖ノ島現地大祭は、唯一、一般の人の入島が許される日(ただし男性のみ)。2003年のその日、ボクは地域づくりのメンバーと一緒に沖ノ島の現地大祭に参加したことをニュースを見ながら思い出しました。

 探してみると、写真もけっこう残っているものです。せっかくなので、沖ノ島の様子を振り返ってみたいと思います。沖ノ島の雰囲気が伝われば、さいわいです。

 

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 現地大祭は前日から始まります。大島の中津宮に夕方集まり、受付と漁船の班分けが行わます。200人以上は集まっていたでしょうか。ちなみに、このときははがきで申し込んで、当選しました。

 

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 漁船で島に渡る人たちは、救命胴衣もこの時に借りていました。その日は島内の旅館に泊まり、朝の出発に備えます。

 

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 朝は6時半ぐらいに出発。ボクは運良く旅客船だったので、救命胴衣も不要でした。漁船に乗った人たちは、波の揺れがひどくて大変だったとか。

 

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 客船からみる漁船。客船より漁船の方がかなり到着が早かった記憶があります。ただ揺れまくり、濡れまくりだったそうです。天気は快晴でした。

 

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 2時間ぐらいかかって、いよいよ上陸。山伏の姿も見られます。このとき、三重県鹿児島県、北海道などからも参加がありました。外国人の姿はなかったです。

 

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 沖ノ島は全体が宗像大社の社有地です。女人禁制や草木の持ち帰りなどが禁じられています。

 

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 そして、入島者は全員、禊(みそぎ)をしないと島の土を踏めません。堤防は人工的に後からつくったので、禊前でも上陸できます。

 

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 服を着直して、いざ入島。

 

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 島の沿岸部をみるとこんな感じ。

 

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 島の奥は当然のことながら原生林。その中に鎮座する沖津宮で、現地大祭が執り行われます。

 

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 現地大祭の時間はおよそ1時間ぐらい。つまりそのくらいの時間しか島に滞在できません。せっかくなので沖ノ島一体を展望できるところまで登ってみました。

 

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 山頂には大きな灯台もありました(糸乘さん若いなぁ)。

 

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 沖ノ島から唯一持ち出せるのが水です。ただし、お祓いして清めてもらわないといけません。

 

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 海岸に戻ると、地元の漁師さんによる直会(なおらい)が行われていました。

 

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 参加者みんなで地魚の煮付けや刺し身をいただきました。ビールやお酒を飲んでいる写真もありましたけど、たぶん有料で売っていたように思います。

  

 以上が、ボクが14年前に体験した沖ノ島現地大祭です。女人禁制なので、参加者の奥様などが大島から見送っていたことも思い出しました。

 もう一度、行ってみたい思いはありますが、抽選の倍率は今ではとんでもなく高くなっているので、当選する気がしません。でも、このままで有り続けてほしいと思います。

 

都心居住で単身世帯が増える地域

 中洲界隈で近年マンションが目立つので、古門戸町須崎町での立地状況を調べてみました。1982年と比べるとマンションが非常に増えていることがわかります。そのほとんどがワンルームマンションです。歩いて天神に行ける立地の良さと地価の安さから、車を持たない学生・サラリーマンやお年寄りなどの単身者の需要にマッチしたようです。ただ、地元の人に話を聞くと、マンション住民と地域との関わりはほとんどないとのこと。一方、地元は山笠などの祭りを通じて“立ち話が多い”というほどコミュニティがしっかりしています。地元を離れても、山笠の役員などの関わりを持つ人も多いそうです。地域内に住んでいても地元と関わりがなく、地域外に住んでいても地元と関わっている。須崎町古門戸町も人口は増えていますが、ただ人口が増えればいいものなのか?地域とは何か?と改めて考えさせられます。

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古門戸町須崎町ではワンルームマンションが増加

 

 このエリアで開発が盛んになりだした1995年と2015年の人口を較べてみると、古門戸町須崎町も人口はかなり増えています。高齢化率は須崎町で若干上がっているものの、20%を切っているので、高齢化はほとんど進んでいない状況です。
驚いたのは、1世帯あたりの人数がどちらも1人台前半であり、単身世帯が非常に多くなっていることです。ワンルームマンションが多いことが統計からも伺えます。

 

 古門戸町須崎町の人口比較(国勢調査より)

町名 人口 65歳以上
人口
高齢化率 世帯数 1世帯人数
古門戸町 1995 597 137 22.9% 287 2.08
2015 1,161 215 18.5% 835 1.39
須崎町 1995 870 150 17.2% 475 1.83
2015 1,148 228 19.9% 925 1.24

 
 このエリアは埋蔵文化財包蔵地となっており、1~2年ほどの調査期間が必要となり、調査も事業者負担となるため、ファミリー向けのマンションは事業性が厳しいそうです。数少ないファミリー向けマンションには、地元の居住者が多く、今でも入居待ちをしている人がいるくらいなのだそうです。山笠に参加したのが縁で、ここに移住したい、子育てをしたいという声もあるそうですが、物件がほとんどないのが実情だそうです。
 一方で、都市部ゆえに住宅を相続する際の高額な相続税が払えず、土地や建物を手放さなければならない状況も生じています。ファミリーマンションを建ててほしいという地元の思いとは裏腹に、事業者がワンルームマンションの建設を申請してきても、法令を遵守していれば、断るすべが地域には存在しません。
民間ベースの経済性・効率性一辺倒の開発によって、顔の見えない隣人が増えていくことが果たして地域の活性化につながるのだろうかと疑問に思います。地域とのつきあいを生むような丁寧なまちづくりを都市計画や土地利用の制度にも組み込めないものだろうかという思いを強くしました。 

市民の意識が変わった。村上の「町屋の人形さま巡り」の取り組み

 5月中旬に、町屋の再生や人形さま巡りなどの取り組みを行っている村上市を視察させてもらいました。村上市といえば、〆張鶴などの日本酒と塩引鮭で有名な“さけ”のまちです。

 町屋の店内に何百匹もの干し鮭が吊された「千年鮭きっかわ」。こうした町屋の“ナカ”の魅力を“ソト”に発信しようと人形さま巡りや屏風まつりなどに取り組まれたのが吉川社長です。きっかわのスタッフで、ゲストハウス開業合宿の仲間でもある高橋典子さんの紹介で、たった3人での視察にも関わらず、社長のお話を伺わせていただきました。

 

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きっかわの天井に吊るされた塩引き鮭。その姿は圧巻

 

 その開口一番「実はまちづくりにまったく興味がなかったんです」と言われたのには驚きました。実は伺う前に、高橋さんと黒塀や町屋再生プロジェクトなどの取り組みや「春の庭百景めぐり」で開放されたお寺の庭などをまち歩きさせてもらい、そのプロジェクト数やスピード感、情熱に圧倒されていたからです。

 以前は商店街の会合で発言もせず、汗もかいてこなかったという吉川さんがどうして村上のまちづくりに取り組みだしたのか、そこには全国町並み保存連盟会長であった五十嵐大祐氏との出会いがありました。

 「商店街の道路を拡幅すれば、町は必ず衰退する。あなたがやめさせなさい」といわれ、その夜に一睡もできずに悩んだそうです。私も地域に関わっていますが、まちのことを自分事としてそこまで深く受け止められるかと言われると自信がありません。

 道路拡幅の反対署名運動をして、商店街から村八分にあってもめげず、今度は人形さま巡りの実現に向けて奔走する。一度決心したら、なんとしてでも実現に向けて動きを止めない芯の強さを感じました。

 「朝まで悩んだとき、自分のことはどうでもいいと思えたんですね。もっと価値あるものに気づくと心が楽になったんです」と、昔、村上のために奔走していた父親の姿を思い出し、村上の町屋の価値に気づいた吉川さんの活動はそのときから始まりました。

 

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吉川さんに町屋再生の取り組みを紹介していただく。その1軒1軒に物語が詰まっている

 

 視察の際にいただいた一冊の本。「町屋と人形さまの町おこし」には、村上のこれまでの取り組みが詳細に描かれています。具体的な中身については、ぜひこちらを読んでいただきたいです。吉川さんと二人三脚でまちづくりを行ってきた奥様が、本人とはまた違う切り口で書かれていますので、その一部を紹介します。

 人形さま巡りの期間が長過ぎて大変だったという地元の声や一回目の成功をみて、仲間に加えてほしいという駅前商店街の要望に対して、催しの魅力を維持するため、吉川さんは和を良しとはしませんでした。そのため、仲間内からも「あいつは人の話を聞かない」と言われ、第二回の人形さま巡りが大成功する裏で、吉川さん本人は最高につらい状態にあったそうです。「自分一人で突き進んでいくことは得意であっても、市民の組織をまとめるという初めての仕事は吉川にとって非常に難しく、精神的な負担のかかることであった」というのは奥様ならでは意見だと思いました。

 また催しを通じて、お客さまに説明する地元のお年寄りたちが次々と元気になったことや屏風まつりが蔵の中身の家庭内伝承につながったこと、名も無き市民がゴミ拾いをしてくれたことなど、表には現れていない成果が数多く生まれたことについても触れられています。

 この本を読みながら、黒塀や町屋の再生で村上の景観が変わり、来訪者が増えたことは当然すばらしい成果ですが、むしろ私は、来訪者によって市民の方々が町屋の価値を再発見し、自ら行動を起こすようになった意識変化こそが何よりの成果ではないかと思いました。他人依存、行政依存ではなく、自らできることを行動に移そうという意識変化をどうすればプロジェクトで導けるか。とても大切な「問い」を教えてもらいました。

町屋と人形さまの町おこし

町屋と人形さまの町おこし

 

まちづくりのプロジェクトに関わる人にはぜひ読んでほしい一冊(2016年に増補版)

 

大木町の食材を使った料理教室で、交流センターの意見交換

 5月12日に九州芸文館で大木町産の食材を使った「輝ちゃんの新鮮野菜料理教室」を実施しました。今回の講座は、来年3月に大木町に開館予定の地域創業・交流支援センター(仮称)についての意見交換会も兼ねています。大木町には、特色である「農と食」を新たな切り口で、地元と都市住民をつなぎたいという思いがあります。料理教室はすでに事業候補に挙がっているのですが、まだ建物がないことから、まずは九州芸文館の人気講座を体験してみようということで、交流センターのスタッフになるプロジェクトマネージャーたちと一緒に企画しました。大木町の農と食に関わる方々を中心に呼びかけ、キノコ・ヒシ・アスパラ農家や加工品づくりをしている方、飲食店、酒屋などから20人近くが参加してくれました。
 

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まず役場から大木町の取り組みの紹介

 

 講師をしていただいた“輝ちゃん”こと貝田輝子さんはトマト農家であり、野菜ソムリエProでもあります。ほとんどの食材の生産者が知り合いで、前日または当日に仕入れたものばかりです。農家と野菜ソムリエProならではのこだわりを感じました。
レシピは、トマトのケークサレ(甘くないパウンドケーキ)、大麦とトマトのチキン煮込み、アスパラちくわのペペロンチーノ炒め、高菜と豚ひき肉のスープ春雨、大麦粉のチヂミ、イチゴヨーグルトプリンの6品。そのうち仕込みが必要なチキン煮込みとプリンを除いた4品をつくりました。
 はじめに貝田さんに料理の手本をみせていただいたのですが、笑いを散りばめながら、野菜の保存方法や美味しさの引き出し方などの話もあり、さすが人気講座の講師だと思いました。お手伝いスタッフが3人協力しており、料理教室のスムーズな進行には、こうした裏方の存在が欠かせないことも感じました。

 

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料理の見本づくりをする貝田さん


 料理は4つのグループに分かれて作ったのですが、料理に慣れている方が多く、手際よく作業が進みます。自宅にある調味料で、手軽に作れることをコンセプトとしているので、すぐに実践できるものばかりでした。アスパラちくわのペペロンチーノ炒めは、私も家でぜひつくってみたいと思う一品でした。にぎやかな雰囲気の中、おしゃべりしながら料理をつくるので、気がつけば、料理を食べる前から各班のメンバーと仲良くなり、料理が早くできた班から、さっそく名刺交換が行われていました。

 

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手軽に作れるアスパラちくわのペペロンチーノ炒め

 

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料理づくりを通じて交流が進みました

 

 昼食後は、交流センターについての意見交換です。私の班では、「農家も都市の人も一緒に語れる井戸端を再現したい」「産地ならではの野菜の使い方など学べる場にしたい」といった積極的な意見が出ました。でも、「気軽にいける、行きやすい雰囲気をつくらないといけない。目的がなくてもいける場所にしないと」ということで、「日替わりカフェ」など、地元の人たちで交代してやれば負担も少なく、ふらりと寄りたくなるのではという話が出ました。さらには、「しめ縄づくりや川祭りの飾りなどを学ぶ場があるといい」「フナ釣りだったり、ひぼかしの作り方も学べる」「地元にある食を伝えないと、子どもたちに懐かしいという味の記憶が残らない」という地域文化の継承についての話も出ていました。お年寄りが元気なうちに若い人たちにつながないと間に合わないかもしれないという危機感も滲んでいました。

 他の班でも、似たような問題意識が共有されていました。交流センターの方向性は、市民感覚と当初内部で考えていたものはあまりずれていないことを確認できて、少しほっとしました。また参加者の中からは、日替わりカフェも週1日だったらできるかもしれないという意見や、プロジェクトマネージャーに加工品づくりやデザインも手伝ってほしいという話も出て、プロジェクトチームのお披露目と業務開拓にもつながる場になりました。積極的な方々が多く、今後も協力していただけそうで、大変心強く思いました。今後もこうした機会を多くつくり、開館前から交流センターのファンづくりを行っていければと思います。

 

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第2部の意見交換では施設利用のアイディアが多数

 

昭和30年ごろの雪国の里山の風景を取り戻したい -30年以上に及ぶ雪国植物園の取り組み-

 5月中旬に所員の視察旅行で新潟県長岡市にある雪国植物園を訪れた。「まちづくりを続ける」ことに興味があるのであれば、ぜひ話を聞いた方がいいと、村上市のきっかわの社長に紹介いただいたのだった。「大原さんの話を伺うと背筋が伸びますよ」といわれたとおり、園長の大原久治さんは熱い思いの塊のような人だった。もともとは雑貨卸会社の社長をしていたそうだ。経営者感覚をもって里山づくりや環境整備に取り組む人はめずらしい。「生態系を残しただけでは人はこない。多くの人が心癒される美しい風景をつくる」というコンセプトで、里山づくりを始め、30年以上たった今でも、まだ道半ばという。実に息の長い取り組みを紹介したい。

(以下の文章は大原さんの話) 

  

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左が園長の大原さん。右は園内をガイドをしていただいたタジマさん

 

◯市民のボランティアで12年かけてオープン

 社長をしていたころから、まちづくりに興味があったんです。地域が元気でないと会社もよくならないという思いがあった。興味を持つまちづくりのテーマは人によって様々だと思いますが、私の場合それが里山でした。

 僕らの若かったころ、昭和30年代前半の懐かしい風景はどこにいったのか、1箇所ぐらい取り戻そうと市長を口説き落としたんです。民間ではいつか潰れてなくなるかもしれないので、環境を守り続けるためにも公のものとした方がいいと思って、35ha(11万坪)の土地を5億円で市に買ってもらいました。土地は元々ばらばらの民有地だったんですが、工業団地目的で買収されていた。ただ円高不況の影響で半分が放置されていました。それを市に買い取ってもらいました。

 当初から市民の力、ボランティアによるまちづくりをテーマにしていました。ボランティアにも、お金を出すボランティア、知恵を出すボランティア、汗をかくボランティアの3つがあります。

 お金を出すボランティアは、つまり会員募集。一人1日8円寄付(年間3,000円)をお願し、企業会員や永久会員なども募って1,700人の会員を集めました。知恵を出すボランティアは、大学教授に設計の相談に乗ってもらったりしました。もう一つ大事なのが汗をかくボランティア。実際に第2、第4日曜日に作業をしますが、やることは木を伐ることと道をつくることです。これを昭和60年からずっと続けて、植物園をオープンするまで12年かかりました。自然が相手だし、こちらは素人なので、そんなにうまく進まない。田んぼと土木工事は市が行ってくれましたが、それは全体の20分の1。あとは自分たちの手でつくりました。

  

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雪国植物園に一歩入ると雑木林が広がる。新緑に癒される

 

◯環境をつくれば、自然が戻ってくる

 植物は新潟県以外のものは植えない。標高500m以下にある里山のものに限る。園芸品種は植えない。農薬は使わないというのがルールです。そうするとトンボが40種類、鳥も年間80種類ぐらいくるし、カエル9種類、ホタルもゲンジとヘイケを両方みることができるようになる。環境をつくれば、養殖をせずとも自然が戻ってきます。

 里山というのは生活のための山なので、手の加え方によって山の性質や植生も変わります。隣の山にあって、こちらにないものなどもある。そういうものを集めてきて、今では樹木が200種類、山野草が600種類、シダ類が50種類になっています。

 

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山に入る人の「雪国植物園の4原則」。内容もわかりやすい

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ハナイカダ花筏)。水に浮かべると人が乗っているように見えるそう。

ガイドがないと、植物園の魅力は半分もわからないと思う

 

◯オンリーワンを目指すと全国から人がくるように

 現在は社団法人として市からの指定管理で運営していますが、将来は独立採算で運営するために、受益者負担の工夫をしないといけません。多くの人が喜んで入園料を払ってくれる条件は何かと考えると、心が癒される美しい風景です。生態系が残っているというだけでは、人は来てくれない。新潟県の生態系を守ると同時に美しい風景をつくらないといけません。

 美しさとは何かというと、木をほどよく伐って見通しがいいということが大事になります。見通しがよくないと安心できない。ほっとしない。花を咲かせるためにも木を切らないといけない。我々は光と風をテーマにそれをやり続けることが仕事です。

 苦労もあります。途中で近くに400haの国定公園ができることは予想できなかった。市長に運営できなくなると抗議しにいったこともありますよ。そうしたら「国営公園は国民の余暇のための公園だが、雪国植物園は自然を守るための公園である。植物園は守るからやって欲しい」と言われて、続けることになりました。

 国営公園と競争しては生き残れないので、オンリーワンを目指しています。家族連れは国営公園にいくことが多いですが、こちらにはむしろ、花や鳥が好きな人が多い。専門家なみに詳しい人も来ます。みどりの日に無料開放したら、東京、神奈川、千葉、鹿児島や仙台からも来ました。オンリーワンを目指すと全国からくるようになる。年間15,000人が訪れますが、その半分以上は関東などの県外からです。まだ整備中なのであまり告知はしていませんが、最近は口コミやネットなどの影響で急激に増えています。今年も昨年の25%増しぐらいになっています。

 50歳から里山づくりをはじめて32年になりますが、まだ完成していません。敷地内はほとんど伐り終わりましたが、周辺の個人所有の土地がスギだらけのままです。伐らせてほしいとお願いして回っているので、後3年はかかると思っています。

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クリンソウの群生は植えることで演出している。もう少しすると3~4段の花が咲く。仏塔の先の「九輪」に似ていることから付いた名前だそう。

〇やり始めたからには完遂させるのが経営者

 以上が雪国植物園の大原さんに伺ったお話である。30分程度の短い時間だったが、30年分の重みを感じる話だった。印象的だったのは、ただ里山を自然に回復を任せるのではなく、新潟のシンボルである雪割草が自生する状態をつくるなど、美しい風景を演出するためのポイントを幾つかつくっていることだ。生態系だけでなく、どうすれば人が来る魅力をつくれるかも考えられていた。

 「やり始めたら絶対に完遂させるというのは経営者の感覚ですよ。投資をしておいて、途中でやめたら自分の人生がムダになってしまう」というように、自分の人生をかけて取り組まれている。億を超える個人資産も投資しているそうで、その覚悟と気迫は82歳とはとても思えなかった。今でも毎日山にいて、夕食のときだけ自宅に帰るのだそうだ。言っていることと行動が常に一緒なのだ。

 「言葉で言っても誰もついてきませんよ。いつも山に入り、それをみて、もしかしたらできるかもしれないと思わせないとついてこない。そこまで持っていかないといけない」

 目の前に広がる里山がその結果を静かに物語っていた。まちづくりや地域づくりに関わるものとして、活動に取り組む際の大事な心構えを学ばせてもらう視察だった。

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この風景が30年以上に及ぶ里山づくりの積み重ねを物語っていた

 

料理から暮らしを見直す「高鍋食の文化祭」

 森の新聞社の森千鶴子さんのお誘いで、宮崎県高鍋町で開催された「食の文化祭」に参加してきました。食の文化祭は、「家庭料理大集合」とも言われていて、普段家庭で食べている料理を持ち寄って、それぞれの暮らしを語り合う取り組みです。森さんと私が一緒に関わっている大木町でも実施できないかと検討しているので、そのスタッフたちと一緒に行ってきました。

 高鍋町は宮崎県の中央にあり、人口は21千人と大木町(14千人)と比べるとやや大きな町です。天気がよかったので、高速道路から畑に組まれた櫓に大量の大根が並んでいる景色が目に入りました。このあたりでは干し大根が有名なのだそうです。大木町と同じく農業が盛んな土地柄なのだなと思いながら、街に入りました。

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丘からみた高鍋町の様子

 

 高鍋町の食の文化祭は、今回で7回目だそうです。当初は森さんを講師に招いて、勉強しながら実施したそうですが、今はフードランナーという食育に関心の高い保育士や管理栄養士など人たちが中心となった団体が実施しています。文化祭の前日にフードランナーの方々と親睦会をさせていただいたのですが、みなさんから料理を通じて食文化や暮らしの見直しをしたいという熱い思いを感じて、こうした熱心な方々と一緒に大木町でも食の文化祭を実現できればと思いました。

 食の文化祭の当日は、早朝からスタッフの方々と一緒に準備のお手伝いをさせていただきました。私たちの役割は受付のサポートです。参加者はレシピと料理を1〜2品持参されます。レシピの記入や料理の写真撮影も並行して行うので、どうしても混雑が生じます。料理とレシピがばらばらになると、後で資料として使えません。イベント準備と並行してデータ整理を行うのはなかなか大変でした。最終的には100皿以上の料理が集まり、追加のテーブルを出して対応するくらいの反響でした。 料理は試食前にすべて紹介するのが高鍋式。司会者がマイク片手に料理が並んだテーブルを回り、出品者の思いやこだわりを聞きてまわります。小学生の女の子が焼いた卵焼きをお父さんが燻製にしていたり、おじいちゃんと孫娘が鹿肉を使ったジビエ料理を出していたりとさまざまです。紹介を聞くたびに食べてみたい料理が増えていきました。

 

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卵焼きの説明をする子どもたち

 

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ジビエ料理を孫と一緒に説明してくれました

 

 1時間以上に及ぶ紹介を終えるとようやく試食会です。「いただきます」の直後、人が群がる料理があったので、何かと聞いてみたら、樫の実からつくった「かしコンニャク」でした。実をアク抜きしてデンプンにするまで1ヶ月もかかるため、つくり手がおらず、地元の人でもめったに食べられないそうです。昔の人の貴重なタンパク源だったそうで、非常に素朴な味でした。品評をしたり、コンテストを行うわけでもなく、ただ一緒に料理を囲みながら食事をするだけのシンプルな取り組みですが、キャベツ農家が加工品づくりに取り組んだり、いろんな交流や展開につながっているそうです。あまり意図を持ち込まずに、続けることが大切なのかなと思いました。残った料理もみんなタッパーに詰めて持ち帰るなど、エコロジーな取り組みでもありました。 今回、実際に裏方を手伝ったことで、受付や洗い場の確保、会場の広さなど、大木町で行う際の課題も具体的に見えてきました。何より複数のスタッフで共有できたことがありがたいことです。ぜひ大木町で一度実現したいと思います。 

 

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試食会の様子。人気の料理はすぐになくなってしまいました

 

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かしの実でつくった「かしこんにゃく」