地域づくりブログ

地域を愛し、誇りを持って働き、暮らし、輝いている地域人(ちいきびと)の物語を紡ぎたい。

有明海の新名所!?クモデ網漁を体験する

 「クモデ網漁は有明海の夕日も見られて最高ですよ」と九州芸文館の安西さんの話を聞いたのは半年ほど前のこと。携帯電話の写真を見せてもらいながら、「クモデ」とは網が蜘蛛の巣みたいな形なのだと理解しました。有明海では昔から行われてきた伝統的な漁でスズキやウナギが上がることもあるとか。これから着地型観光の目玉になりそうだという話を聞いて、ぜひ体験しようと筑後市の方々と一緒に行ってきました。

◯柳川の観光振興のために復元

 クモデ網漁を一般の人が漁業体験できるようになったのは実は平成27年と最近です。柳川市観光課の中島さんは、「最初はムツゴロウを売りだそうと始めたんですよ」と教えてくれました。

 柳川市観光の滞在時間を伸ばそうと平成26年にルアーでムツゴロウを釣る「ムツかけ」体験を始めました。しかし、干潮時にしか体験できなかったため、目をつけたのが「クモデ網」だったそうです。クモデ網漁であれば干潮問わず、いつでも体験できます。ただ、実際漁に使える網をつくるため、漁協のクモデ部会などの協力を経ながら、口伝で伝わっていたクモデ網を再現したのだそうです。

 ムツかけは慣れるまで少し技術がいるらしく、今はクモデ網体験の利用が増えているのだとか。網も7基ほど設置し、現在は団体客なども受け入れられるようにインストラクターの育成に力を入れているそうです。

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有明海に面して並ぶクモデ網

◯網を引くだけのシンプルな漁

 有明海の海岸に広がる巨大な堤防に登ると、数基のクモデ網が見えました。さっそく、そのうちの1基に足を運ぶと、インストラクターの森さんが待機してくれていました。櫓(やぐら)は、口伝通り、軽量の木材で組み立てられた質素なもの。大人数で乗ったら重量が大丈夫かなと心配してしまいます。

 釣り方は、縄を緩めて静かに網を下ろし、網の上を魚が通っていると想像し、自分のタイミングで網を引き上げるだけです。縄に足を取られて海に落ちないように気をつければ、子どもでもできます。実際に夏休みは親子連れが多いのだそうです。

 ものは試しとさっそく最初の挑戦者が引き上げると、見事に2匹のコハダが入っていました。網から魚をタモですくうにはコツがいるらしく、森さんが手伝ってくれます。さて私の番です。網を降ろして間をおかずに引き上げたためか、何も入っていません。残念と思いながから網を海に戻そうとすると、「待ってください。非常に珍しい魚が入っていますよ」と森さんが教えてくれました。よく目を凝らすと、シロウオのような透明な魚がはねています。地元ではトノサンウオと言われているそうです。頭を取ってそのまま食べられると聞き、さっそくその場で食べました。特に味はなく、コリっとした食感を楽しむようです。

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シロウオに似たトンサンウオ

◯インストラクターはデザイナー

 網を引くだけの単純な漁ですが、何が捕れるかわからない「運試し」の感覚があり、大物を夢見て何度も網を引きたくなります。ただ、大人の男性でもかなりの力がいるため、2〜3回続けると腕が疲れてきます。漁は1時間単位の料金なので4〜5人で交代しながら釣るのがよさそうです。インストラクターは女性が網を引くときのサポートや魚の種類や料理法を教えてくれたり、コノシロを〆てくれたりといろいろとお世話をしてくれます。森さんの職業を伺うと、本職はデザイナーでパンフレットなどを作成していると聞き、参加者のみんなが本業とのギャップに驚いていました。柳川の川下りの船頭や地域づくりの活動も熱心にされているそうです。また別の機会に、話を聞いてみたい方でした。

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インストラクターをしていただいた森さん

◯クモデ網のファンづくり

 取れた魚は、地元の寿司屋に持ち込み、マエビとコノシロは刺し身、コハダは唐揚げにしてもらいました。柳川の地酒「国の寿」を飲みながら、有明海の幸を楽しむという、最後まで柳川の魅力を堪能しました。

 今回の参加者の感想を聞いていると、クモデ網は柳川の川下りやうなぎにも負けないくらい魅力的だと口々にいっていました。私もまた子どもを連れて来たいと思いました。一方で単純な漁のためか、知らない人に魅力を伝えるのが難しかったり、魚が多い潮目の時間に行程を左右されるという問題もわかりました。でも一度体験するとまたやりたくなる不思議な魅力があります。まずは自分がクモデ網体験の応援団となって、口コミでファンが増えればと思います。また近々体験しにいこうと思っているので興味を持たれた方はご一報ください。

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刺し身でいただいたマエビとコノシロ

糸島市福吉地域で2回目の農園チャレンジ

−「福ふく体験農園」の取り組み紹介(準備編)−

 糸島市の福吉地域で「糸島まるごと農学校(以下、農学校)」をお手伝いしたのはもう9年も前のこと。旧二丈町が合併して糸島市になる前に九州大学と福岡県と連携して実施した糸島学研構想の事業でした。当時は野菜の作付指導や座学を行う農園は少なく、九大農学部の先生、地元の農家や種苗店などの農業関係者が講師になって指導を行うという珍しいプログラムでした。

 私は農学校の立ち上げから3年間ほど関わらせてもらいましたが、糸島市の合併に伴い、担当者の移動やプロジェクトの位置づけが変わるなどして、いつの間にか疎遠になっていました。

 私自身の思いとしては農学校の運営ノウハウを地元に蓄積し、NPOなどの組織を立ち上げて継続的に実施できるようにしたいと思っていました。そのため、当初は3万円近い参加費をもらっていたのですが、行政が関わる事業で収益を上げることが問題視され、参加費を減額させられるなど、運営面で苦労したことを覚えています。

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2009年当時の農学校の募集チラシ

◯3人で任意組織を立ち上げる

 今回、再び福吉で農園事業に関わることになったのは、福吉地域づくり推進協議会の一人である井口 賢治さんとSNSを通じて知り合ったことがきっかけです。井口さんは福吉に移住し、映像製作などの仕事をされていますが、商工会や観光協会の理事としての顔もあり、地域の振興に熱い思いを持っていました。

 たまたま、福吉という地名つながりで農学校の話題を出したところ、当時野菜づくりの指導をしてくれた農家の加茂正嗣さんが協議会会長であり、農学校事業を再び実施したいと考えていることを教えてくれました。井口さんの仲介で福吉のスナックで加茂さんと再会。以前の農学校の活動記録すら渡していなかった不義理を恥ずかしく思いましたが、「ぜひ一緒に手伝ってほしい」と言われ、その場で協力を約束しました。

 加茂さんと再会したのが年明け早々の1月6日。春から農園を始めるには、すぐにでも事業母体を立ち上げる必要がありました。地元の協議会や直売所に母体になってもらえると予算を使って大規模に実施できるかもしれませんが、意思決定に時間がかかります。そのため、加茂さんと井口さんと私の3人で任意の母体をつくり、事業を進めながら、必要なときに地元に協力を呼びかけようということになりました。

 3人だとフットワークは軽いのですがお金がありません。補助金も頼らずに自分たちのできる範囲で事業を構築する必要があります。農学校では「座学」が魅力の1つですが、講師費用や調整が大変です。将来の農家を育成するつもりなら座学も必要ですが、都市住民との交流に力点を置くなら必要ありません。限られた予算と時間の中でできる範囲を絞り込み、初めて野菜づくりを行う人を対象にした「体験農園」を実施することにしました。農地も直売所に近いなどアクセスが良く、規模も1反(約千㎡)程度の場所を加茂さんが借りてくれました。

◯区画の数よりも参加者の距離感を縮めたい

 短い準備期間中、他の体験農園を見学したり、サイトなどを見ていると、どの農園も一区画が30㎡ぐらいで年間20種類ぐらい栽培しています。農機具小屋や休憩場所、水道の設置などの設備が充実した農園もあります。農園数もずいぶん増えています。しばらく農園事業に関わらない間に状況はだいぶ変わっているようでした。

今回の圃場は千㎡程度なので、1区画30㎡とすると最大30区画つくれます。人数が増えればグループを2組に分けて、土日別や時間別に分けた対応も考えられますが、受け入れ数を増やすより、むしろ人数は少なくても、参加者と福吉地域の農家や地域との距離感を縮め、長く通ってもらえるような関係づくりを目指そうということになり、最低10組、最大でも20組とし、共用の畑をつくって収穫祭などの交流活動に活かそうと決めました。

 ようやく「福ふく体験農園」という名称が決まり、募集内容を整理できたのが3月下旬。入学式やGWの話題が出始める前になんとかプロモーション活動を始めることができました。とはいえ、井口さんがつくってくれたチラシやFacebookでのネット配信が頼りです。4月初旬は参加者がまったく伸びず、本当に開催できるだろうかと不安になりました。体験農園に関する共著もある西日本新聞の佐藤弘さんが写真付きで農園の紹介記事を書いてくれたことで、参加申し込みや問い合わせが増えはじめました。ほっとしたのもつかの間、熊本地震が発生し、取材のキャンセルや自粛ムードもあって参加者は伸び悩み、最終的には8組の参加となりました。なかなか思うように行きません。しかも意外にも8組中4組は地元福吉からの申し込みでした。

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西日本新聞に掲載してもらった記事(2016.4.6)

◯お付き合いから生まれる「こと」の可能性

 私個人の思いとしては、今回の野菜づくり体験を通じて、福吉地域の方々と参加者の接点をつくることで、交流人口よりもちょっと深い「お付き合い人口」を増やせないかと思っています。

 たとえば、現在の農村移住は、地域のイメージや家の立地条件で選び、近所付き合いや地域のしきたりなどは後回しです。地域との相性が良ければいいですが、合わないケースもきっとあると思います。お試し居住などが人気なのも、少しでも地元の空気を肌で感じたいというニーズがあるからだと思います。具体的にはまだ調べてはいませんが、福吉地域でも空き家が増えているそうです。でも、ほとんど賃貸物件としては出てきません。相続などの問題もありますが、農村では親戚などがいないと借りることが難しい状況です。農園を通じて素性がわかっていれば、地元から斡旋してくれる人が出てくるかもしれません。農村では畑の管理が人柄の判断材料だったりします。

 移住の話は理想ですが、「お付き合い」が始まれば、「相談」が生じ、「こと」が起こる可能性が生まれます。もっと都市の人と農村の人の交流の場ができることで、新しい地縁が生まれてくれればと思います。最初は4組の移住者の参加に驚きましたが、身近な交流が増えそうでとてもありがたく感じています。まだ夏野菜の作付などで手一杯の状況ですが、少しずつ参加者同士や農家との交流機会を増やしていければよいなと思っています。

 今回は野菜づくりの内容まで触れる余裕がなかったので、次回は野菜の品目選びの苦労や参加者の反応など、農園そのものの取り組み状況についても報告したいと思います。

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 夏野菜の定植が終った畑の様子(2016.5.25井口撮影)

 

福岡県立大生と添田町の空き家を見て回る

 添田町副町長の小河さんとは、筑後市の九州芸文館の運営方法について一緒に調査をさせていただいたときからのお付き合い。福岡県から添田町に赴任されたので、空き家関連の調査の際、挨拶に伺いました。添田町も空き家が多く、その利用に悩んでいます。雑談の中で、「福岡県立大学(以下、県大)が近いので、学生に添田町に住んでもらって、地域づくりに協力してもらえないだろうか」という話が出ました。

 県大の先生たちとは一緒に仕事した縁もあるので、「実際に学生に空き家を見てもらって話を聞いた方が早いですよ」と伝えると、ぜひやろうという話になりました。さっそく県大の森山先生に相談して学生を紹介してもらい、公共社会学科の3年生4人に添田町に来てもらいました。

◯暫定利用も考えたい旧醤油屋

 今回は一般住宅の空き家ではなく、添田町が所有(予定含む)する空き物件3軒を見て回りました。最初は醤油屋だった中村家住宅。20年数年前に廃業し、近年、町の指定文化財として買い取ったそうです。中に入ると学生たちは「ジブリみたい、サマーウォーズみたい」とはしゃいでいます。私もアニメ好きなので、かろうじて話についていけます。

 明治時代の建物で部屋数が多く、中庭もあります。敷地の奥には醸造場があり、木樽や撥ね木なども残っていました。ただ20年以上も放置されているため、雨漏りするなど劣化がかなり進んでいます。学生たちも住むには不便そうで、外国人向けのゲストハウスの方が相性が良さそうだという感想でした。添田町も利用してくれる人がいれば改修したいそうなのですが、管理費や運営費までは賄えないようです。文化財クラスの立派な建物が朽ちつつある中で、放置せざるを得ないのはとても心苦しく感じます。壊してしまうのは簡単ですが、地域の記憶も失われてしまいます。周辺住民の方々と片付けをしたり、身近な改修を行い、綺麗な部屋だけでも部分的に暫定利用するなど、自分たちができる範囲のアクションを起こせないかなと思いました。

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中村家住宅の説明を受ける学生たち

f:id:hmasa70:20160227133625j:plain木樽や撥木の残る醸造

◯アクセスではなく周囲に友人がいないことがネック

 2軒目は、築10年程度の平屋住宅です。戸建の住宅団地の真ん中にワンルーム程度の小さな住宅が不釣合いに建っていました。元の家主は大阪在住で、旧家屋の解体後、いずれ住むかもしれないと思い、建てたそうなのですが、結局住むことなく町に寄付している手続き中なのだとか。

 学生たちは、建物の新しさやキッチンの広さなどに興味を示していました。町の中心部からは離れているのですが、車で大学まで20分ぐらいなので住むにはまったく問題ないとのこと。県立大学には学生専用駐車場があるくらい、県下でも学生の自動車保有率が高いらしく、家賃が1万くらいなら、2年間で車1台買えるくらいの貯蓄ができます。買い物は大学近くのスーパーでできるし、ネット環境があれば休講の確認なども自宅でできるので、居住の可能性はありそうです。ただ、周囲に友達や知り合いがおらず、住宅団地の中に学生1人で暮らすのは、環境として厳しいかもという意見もありました。

◯旧警察官舎は男子寮に最適

 3軒目の建物は、旧警察官舎だった住宅団地です。3DKの部屋は綺麗な状態で、空き家という感じはしません。なんだか賃貸物件を案内する不動産屋になった気分です。12部屋中1部屋は居住者がいますが、ほとんど1棟丸々空いている状態です。それを聞いた学生たちは「男子学生寮にできるやん!」と歓声をあげていました。県立大学には現在、女子寮しかなく、男子は一般の賃貸住宅に暮らすしかないそうです。女子寮も光熱費込みで1人1万2千円と破格なのですが、5畳の部屋を2人でシェアしなければならず、間仕切りすらない状況なのだそう。先ほどの物件の近所に友人がいないという問題も解消されますし、女子寮と同等額であれば、距離があっても需要はかなりありそうだという話でした。

 唯一の問題は交通面ですが、家賃が安ければ車や原付バイクも購入できます。10分ぐらい歩けばJR添田駅もあります。ただ、できればタクシーと年間契約するなど、通学に使える足を確保してもらえると、より住みやすいという意見もありました。

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ほぼ一棟まるごと空いている旧警察官舎

◯ボランティアへの関心が高い県大生

 見学に協力してくれたお礼と意見交換を兼ねて、最後は地元のお好み焼き屋に行きました。

 そもそも県大生は、都会に行きたい人が来ているわけではなく、農山村の地域づくりや介護福祉などに興味関心を持つ人が集まっています。運動系、文化系、ボランティア系というサークルのジャンルが確立するくらい、地域の手伝いやボランティア活動にも積極的なんだそうです。

 参加してくれた4人も田川の神幸祭でみこしを担いだり、行政のアンケート調査のボランティアなどを経験していました。もちろん、貴重な経験を積むために協力しているのであって、単なる作業やアルバイトには興味は低いそうです。4人とも別途、家庭教師や飲食店のアルバイトなどをしていてかなり多忙の様子。学業の時間、収入を得る時間、経験を得る時間をきちんと管理している印象を受けました。

添田町への居住についても、家賃が安ければバイトを減らせて学業や地域活動が増やせるという意見がさらりと出るあたりに正直驚きました。自分が学生のときは、バイトでもっと稼いで遊ぶことしか考えていなかったはず。最近の学生はずいぶんしっかりしています。

 居住の告知時期や場所についても、合格発表時では遅すぎるので、博多や広島で入学試験会場で寮があることを告知した方がいい、後期日程の人は住宅の選択肢がないので残しておいてほしい、車を持つのは2年生のころなので3年生から受け入れた方がいい、などとこちらが質問せずとも勝手に話が広がります。案内役をしていただいた行政職員も「うちの若手職員でもこんなに活発に意見は出ないかも」と学生たちの熱心さに驚いていました。

 添田町にとっても住宅を空いたまま放置するよりは、使ってもらった方が助かります。若い学生が増えて、地域にも顔に出してくれれば活気も出ます。「男子寮にするなら、もう少し改修も必要ですね。可能性については県大学にも相談してみましょう」と担当者も乗り気でした。次の展開につなげることができ、学生にとっても添田町にとっても意義のある見学会になったのではないかと思います。添田町に県大学の学生寮ができる日も遠くないかもしれません。 

旧土井良家住宅の空き家再生プロジェクトその2(開発許可編)

-市街化調整区域の開発許可申請顛末記-

 タイトルから「市街化調整区域(以下、調整区域)」と「開発許可」という耳慣れない言葉が並んでいます。これから地域づくりで空き家活用という話も増えてくると思いますが、空き家がたまたま調整区域に存在することで、開発許可が下りずに地域づくりが進まないことも今後起きそうです。旧土井良丈文家住宅の用途変更を行う際、そのことを強く感じたので、どのような問題が生じそうか、その顛末を残したいと思います。

◯そもそも調整区域ってなんだ?

 都市計画を知らない人にとっては調整区域といっても何のことか、さっぱりわからないと思います。簡単にいうと、都市部は「開発を進める市街化区域」と「開発を抑制する調整区域」の2つに分けられています。
 開発が進む恐れのない小規模都市や農村地域では都市計画区域そのものがなかったり、あっても調整区域はないケースもあります。都市の周辺で無秩序な開発が進む恐れのあるところを調整区域にして、開発を行う際は事前審査にあたる「開発許可」という制度で土地利用をコントロールしています。
 このルールは人口の増加期には開発抑制として機能したわけですが、縮退期になると足かせになるケースも生じてしまいます。糸島市内の同じような農漁村でも、調整区域とそうでないところで、空き家活用の進み方に差があったりします。今回、私が関わった旧土井良家住宅は調整区域にあるため、改修もほどんど行わないのに、住宅を集会所に用途変更するために、開発許可が必要になりました。

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糸島市の都市計画と旧土井良家住宅の位置

◯都市計画を知っていても不安な開発許可の手続き

 調整区域では開発許可が必要なことは知っていましたが、恥ずかしながら、どんな手続が必要なのかはまったく知りません。福岡県(以下、県)の都市計画課に相談にいくと、「都市計画法に基づく開発行為等の審査基準」なる分厚い書類を見せられました。
 そもそも住宅を住宅として使うのであれば、開発許可は不要です(細かくはいろいろあるのですが、ここでは省略します)。また、昔の用途と同一用途(産業分類の中分類が同じ)であれば、開発許可は不要なんだそうです。相当以前の用途を調べ上げ、証拠があれば、開発許可を行わずに用途を変えることもできるそうです。
 でも今回は住宅から集会所なので、同一用途になりません。調整区域では基本的に住宅や日常生活のための店舗など以外は許可されません。ただ別途に、「開発審査会の議を経て認められる開発行為」というのがあり、集会所などの準公共的な施設であれば、許可が下りるかもという話でした。
 都市計画法や開発許可基準などの話は、一般の人には高いハードルです。都市計画についてはある程度の知識を持っていても、建築に関する知識が乏しく、途中で話がわからなくなります。外部の協力者を得ずに、申請を完了できるか、相当不安になりながら、県庁を後にしました。

◯家主の協力が不可欠な手続き申請

 さて、開発審査会の議を経るためには、提出書類を作成しないといけません。土地の造成工事をするわけでもないから、大したことはないだろうと思っていたら、大間違いでした。

 建築物の配置図や平面図、求積図は、当然必要なので弊社の山田(一級建築士)に起こしてもらったのですが、建築行為等同意書なるものには、家主の実印と印鑑証明が必要と書いてあります。登記簿をみると家主の父親の名義のままで、相続をしていません。死んだ人では証明にならないので、慌てて家主のご家族に相談したのですが、家族仲が悪かったりすると、相続が進まないケースもあります。相続の長期化を心配したのですが、幸いにも家主の娘さんが熱心に動いてくださり、2ヶ月ぐらいで相続をしてもらいました。
 今回はたまたまスムーズに手続きが運びましたが、借りる側だけでなく、家主の協力も必要であること、また相続の確認は事前に行っておかないと事業の中止に追い込まれかねないことを痛感しました。

◯市や区の協力が必要な開発許可

 申請書類については、糸島市の都市計画課が窓口なのですが、図面作成に慣れていないので道路幅や排水経路など、2、3度実測し直しさせられました。また、延床面積が100㎡を超えていたため、建築関係については箱崎にある県土整備事務所で別途協議しにいく必要があったりと、縦割り行政の弊害も実感しました。

 また、糸島市長や岐志浜区長の名義で、なぜ新たな集会所が必要なのか、他の用途への転用の危険性はないという旨の書面の提出も求められました。この書類を求められる背景として、宿泊施設などへの流用を県の都市計画課がとても危惧していることが伺えたのですが、同時に岐志浜区や糸島市にも責任が生じてしまうので、変なことはできないとも感じました。ただ、一般の人が調整区域で用途変更を申請する場合には、この書面の作成は厳しい条件になるとも感じました。

 しかし、もっと困ったのは実は合併浄化槽の設置問題です。土井良家住宅のある岐志浜地区は下水道が整備されていないので、生活雑排水は雨水と一緒に流しています。合併浄化槽にしないと許可が下りないといわれたときには顔が青くなりました。そもそも集会所という公共性の高い用途変更なので、収入見込みがほとんどなく、設置費用を捻出できません。家主や運営会議のメンバーでも出資は厳しい状況でした。話が暗礁に乗り上げていたとき、空き家活用の助成をしている県の住宅計画課が都市計画課と協議してくれ、合併浄化槽がなくとも許可をもらうことができました。後で聞いた話ですが、糸島市も岐志浜地区の現状で問題はなく地域性を考慮してほしいと応援してくれていたそうです。住宅計画課と糸島市の協力がなければ、ここでも挫折していた可能性は高かったと思います。

 

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旧土井良家の平面図とゾーニング

◯都市計画が抱える問題点

 今回、開発許可の申請は慣れていないこともあり、かなり時間をとられました。業務として受けるならば20~30万円は貰わないと赤字になるでしょうか。しかし、正直にいえば、建物はほとんど手を入れないのに、書類作成だけの費用としてはもったいなく感じます。平面図などは改修に使えますが他は使えません。できれば他の費用などに回したいのが本音です。
 大規模な開発であれば、微々たる経費かもしれませんが、一個人の空き家を活用するための費用としては高額です。現地確認でわかることもかなり多く、用途変更の責任を市長や区長に求めるのであれば、いっそのこと、既存建築物の用途変更の権限は市町村に移管すればいいのにと思いました。
 また、都市計画自体が制度疲労を起こしているとも思いました。都市計画は、そもそも都市を中心にした法体系なので、調整区域の集落や地域をどう維持するかという発想がありません。地域住民との接点を持たない県が窓口の場合には、一地域への関心はなおさら薄くなります。
 しかし、都市計画の用途などがないところでは建物が自由に使えて、調整区域では何もできないという問題が生じています。また調整区域内でも都市計画のルールを知らずに用途変更した店舗は特にお咎めがなかったり、まじめに従う人が不利益を被るケースもみられます。法令順守は当然のことですが、権限の移譲や手続きの簡素化も進めてもらいたいと思いました。
 県の住宅計画課に聞いたところ、調整区域の用途変更は今回初めてのケースだったらしく、今後の用途変更申請の一つの目安になるそうです。調整区域の空き家の利用がもっと進みやすくなるのであればいいなと願うばかりです。私に協力できることがあれば、お手伝いしますので、気軽に相談してください。

旧土井良家住宅の空き家再生プロジェクト(準備編)

 現在、糸島の岐志浜という集落で、旧志摩町史にも載る古民家の空き家再生のお手伝いをしています。そもそものきっかけは、集落の方々の菩提寺である海徳寺の松月さんから、「空き家の活用の相談に乗ってほしい」と連絡を受けたことでした。ちょうどそのころ、私は福岡県の空き家関係の業務を手伝っており、空き家活用モデル普及促進事業の募集を行っていました。宣伝を兼ねて説明に行ったのですが、まさかそのときは、自分も当事者になるとは思ってもみませんでした。

◯集落の中心にある旧土井良家住宅

 空き家となっている古民家は、岐志浜集落のちょうど真ん中にあります。土井良丈文さんが以前は住んでいたそうですが、1年ほど前に亡くなられて空き家になったそうです。屋根裏の梁が太く、登録文化財級の住宅で正直驚きました。

 海徳寺では以前から週1回ほど地域の人たちが集まっておしゃべりをする居場所づくりを行っています。ただ、お寺の場所が集落から離れているため、高齢者の方々は家族の送迎が必要になります。自分の足でも気軽に通える身近な場所で開催してほしいというのが、地域の方々の願いでもありました。

 私が関わり始める前から、特別養護老人ホームなどを営む志摩園さんが空き家を活用して認知症カフェ(後におこもりカフェ)の実施を検討していました。しかし、建物の改修や維持管理については専門外なので悩まれていました。そこで、家主や海徳寺の方々と一緒に建物の維持管理を行う別の母体をつくり、志摩園さんには場所を借りてもらうことにしました。この母体(のちに旧土井良丈文家住宅管理運営会議)の立ち上げのお手伝いをしているうちに、いつの間にか私も当事者になっていました。

◯地元の意向に沿った事業構築

 土井良家住宅は市街化調整区域にあり、住宅以外の店舗などへの用途変更は基本的にはできません。住宅として貸し出すことはできるので、空き家の再生も賃貸住宅が望ましいと思っています。しかし、おこもりカフェの話がすでに動いており、地域の方々の期待もあります。福岡県都市計画課に相談したところ、集会所は準公共的な施設なので、県の支援(補助)があれば、開発許可が下りやすいという話をいただいたこともあり、県の空き家活用モデル普及促進事業の支援を受けて事業を進めています。

 補助金が切れたら事業をできないという事態にならないよう、運営母体のメンバーが出資でできる範囲内で計画をつくりました。建物の劣化状況も知り合いの棟梁らに見てもらいましたが、ほとんど問題なく、雨漏りもほとんど見られないので、改修費用をあまりかけていません。片付けも家主の親族や近所の方々、志摩園のスタッフ、助成をいただいた県の職員の方々らと一緒に行いました。処分に困った仏壇用品は海徳寺が引き取ってくれました。印象的だったのは、片付けが終わるころ、家主の親族の方々が「建物も綺麗になったし、丈文さんの一周忌や忘年会に借りたいね」と話していたことです。片付けをするだけでも、また人が集まってくれ、場が再生できるのだと感じました。

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片付けの最中の様子。全部で1トンあまりの家財道具を搬出しました。

◯土地利用規制と住民生活の乖離

 今回のプロジェクトで、特に時間がかかっているのが開発許可の申請です。都市計画の専門家であるはずなのに、都市計画の手続きをまったく知らないことを痛感しました。そもそもすでに建物があるのになぜ、宅地造成などの際に必要な開発許可がいるのかと思うと同時にこれまで規制の立場からだけで制度を考えてきた自分を恥ずかしくも思います。市街地に人や施設を集約するコンパクトシティの考え方に賛成しますが、農村や漁村集落の維持していく取り組みは必要だと思います。住宅としてしか利用できないのはあまりにも幅が狭すぎます。土地利用制度が住民生活から乖離しすぎないよう、まだまだ見直しの余地があると感じました。

空き家再生の取り組みはまだまだ始まったばかりです。次回は、旧土井良丈文家住宅を使ったおこもりカフェなど、具体的な取り組みの内容を紹介したいと思います。

 

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最後まで残っていただいた片付けメンバーと一緒に記念撮影

病院も地域づくりの担い手に。 -NPO法人しらかわの会「サロン田崎」の取り組み-

  大牟田市の上白川地区というところにサロン田崎という地域のたまり場があります。ここには毎週木曜日の午前中、周辺に住む地域の方々が集まり、おしゃべりや食事を楽しんでいます。外からみると、一般の住宅と変わりません。それもそのはず、ここは空き家だった住宅を改修してできたサロンだからです。

 伺った日は、ちょうど餃子を作っているところでした。毎月最後の木曜日は食事会なのだそうです。ふとみると高齢者の中に混じって、若い女性が一人います。参加者に丁寧に話しかけている姿をみた第一印象は看護婦さんでした。挨拶を交わすと、このサロンの運営を行っているNPO法人しらかわの会の事務局の人でした。いただいた名刺の裏をみると、白川病院と書いてあります。小規模多機能型居宅介護に併設してある地域交流施設と兼務されているのだそうです。あながち私の第一印象は間違っていなかったのですが、むしろ、なぜ病院がサロンに関わっているのかが気になります。餃子づくりの合間の時間を借りて、お話を伺わせていただきました。

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空き家を活用したサロン田崎

◯「家に帰りたい」という患者の声をきっかけに地域づくりへ

 「白川病院に入ると、二度と外は出てこられないと地元の人からは言われていました。でも患者さんからは、家に戻りたいという声をよく聞くんです」

 「でも、1人暮らしだったり、サポートしてくれる家族がいないと、病院や行政サービスを頼らざるを得ません。その間に『地域』のサポートが得られれば、家に戻れるんじゃないか。そのためには病院も地域づくりに関わって行く必要があるんじゃないかという思いからこのサロンが始まったと聞いています」と事務局の岡さんは、経緯を話してくれました。病院の方からいきなり「二度と外には出られない」といわれたのには驚きましたが、「地域づくり」という言葉が出てきたのも驚きでした。

 サロンもすぐに始まったわけではなく、最初は認知症の人を見守る地域の意識を高めようと始まった徘徊模擬訓練がきっかけだったそうです。訓練では徘徊者に対して地域住民からの声かけは少なく、住民間の関係が希薄なことがわかりました。それならもっと隣近所で気軽に声かけできるような関係づくり、場づくりをしようと生まれたのがサロンでした。

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お話を伺った事務局の岡さん

◯6つのサロンを運営するNPOしらかわの会

 サロンを運営する組織としてNPO法人しらかわの会がH21年に設立されます。このNPOではサロン田崎以外にも5つのサロンを運営しているそうです。

 空き家を活用しているのはサロン田崎だけですが、他では小学校の体育館の一室や自治会の集会所を借りたり、農園を借りたサロンもあります。サロン田崎の近くにも自治会の集会所があるのですが、大牟田市では自治会の加入率が低く、会員外の住民は参加しにくいことや集会場所が2階にあるため、高齢者が使いにくいということもあるようです。

 サロン田崎がなぜ空き家活用になったのかは、家主だったお母さんが在命のころ、家が空いたら地域のために使ってほしいと話していて、その意を受けた息子さんから申し出があったのだそうです。

◯やることをなにも決めていないサロン

 「サロンには、毎回テーマはあるんですか?」と聞いたところ、「このサロンはやることを全く決めていないサロンなんです。来た人と一緒にすることを決めています。はじめからすることを決めていると、テーマによっては『今回は参加しない』という人も出てきてしまいます。誰でも気軽に参加できるようにこのような方法で行っています」とのこと。

 アットホームな雰囲気が生まれるかわりに、単なるおしゃべりで終わることもあるとか。交流が目的なのでいいのだそうですが、運営方法はまだまだ模索しているそうです。

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最終木曜日はみんなで料理をするのだそう。この日は餃子でした。

◯生活者の視点からの地域づくり

 大牟田市には「住よかネット」という官民連携で空き家の有効活用を推進する組織があります。サロン田崎は、この空き家活用の最初のモデルでもあります。実は今回の視察もこの建物の改修や仲介などを行っている社会福祉協議会に紹介していただきました。

 建物をよくみると、一部の床が張り替えられていたりします。地元の大工さんに監修してもらいながら、有明高専の学生さんが施工したそうです。できるだけお金がかからないよう工夫されています。空き家になってほとんど間がなかったので、雨漏りなどの不具合もなかったそうです。空き家である期間は短いほど、改修などの追加投資が少なくて済むなと改めて感じました。

 仏壇なども残っていて、親族方々が法事の際にも利用しているそうです。リノベーションもいいですが、建物に元の居住者の面影が残っていると、親族の人たちも利用できます。これから多くの地域で人口が減少していく中、地域外から新たな居住者を招くことができるのはほんの僅かの場所だけだと思います。もっと今いる地域の人のための空き家活用を検討すべきだと思いました。不勉強だったのですが、地域包括ケアシステムや医療ソーシャルワーカーなど、医療・福祉分野でも地域で認知症や要介護者を支えるための地域づくりの動きが始まっています。これからはこうした生活者の視点から地域づくりとの連携にも取り組んでいきたいと思います。

 

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学生さんが張り替えた床とメインルーム。椅子やテーブルも余ったものをもらってきたそうです。

 

笑顔写真家と糸島の“木”をつなぐ旅

 津屋崎の新しいまちづくりの学校が終わった2日後の火曜日。仲間だった笑顔写真家のかとうさんからメッセージが届きました。糸島の地域づくりやまちづくりに係る人たちを取材して回りたいと。

 学校の初日のバーベキューの際、参加者同士の“おらが地域の自慢大会”になり、かとうさんと「ぜひ糸島を案内します」と握手を交わしたことを思い出しましたが、まさか次の週とは。散々自慢した手前、断るわけには行きません。しかし、時間がない上に土日。さらに知り合いが多く参加する伊都祭や落語会などが重なります。糸島には工房や飲食店、農家など、まちづくりや地域づくりで活躍されている素敵な方々はたくさんいますが、これから注目してほしい人や地元の人を紹介したい。そう思いながら、コンタクトと取っていると、図らずも糸島の“木”に係る人たちばかりと連絡がつきました。期せずして笑顔写真家と糸島の“木”をつなぐ旅が始まりました。

 初めに訪れたのが、雷山の麓で林業を営む吉村翼さんの家。鶏舎やトラクターと1月に生まれたお子さんに囲まれながら、仕事や地域の話を伺いました。翼さんは、祖父の田んぼを受け継いでいて、酒米として有名な山田錦のつくり手でもあります。訪れたときは、ちょうど苗作りを始めるところでした。

 彼は林業だけでなく、一般の人たちにも森を身近に感じてもらうために、「森の健康診断」というプログラムをしています。人工林の密植状況などを科学的に調べて、今後の手入れへと繋げる 取り組みです。「森はエンターテイメントです」といいながら、森の魅力を語る姿には、2人とも引きこまれました。ぜひ、森の健康診断の様子をみたいということで、次回会合の参加の約束をしたのでした。

 

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吉村翼さんと奈津美さんに自宅の納屋で話を聞きました。

 

 その後、糸島市が地元木材の利用促進を図る目的で作られたトンカチ館という木材加工所に行きました。ここで、翼さんと同じ林業家の薦田さんに施設を案内してもらいました。ちょうど、その時、かとうさんの宿を提供してくれた福井くんにも会いました。彼は「住み開き」という形で、自宅を開放し、九大生が地元の中学生に勉強を教える寺子屋や地元の人たちが集まるおやじの会などをしています。4月から前原南小学校近くに移り住んだため、新しい屋号の看板作成しているところでした。

 夜は、その福井くんの「つなぎ家」で、かとうさんを囲んで話を聞く「えんがわサロン」。このサロンはボクと福井くんが2ヶ月に1度程度開催しているもので、地域づくりに係る人を招いています。今回で8回目。告知が3日前にもかかわらず、木工家具職人の山本さん、県産材の家づくりをしている加賀田さん、デザイナーの今村さんが参加してくれました。木に係る仕事をしている人ばかりで、間伐材を使った作品づくりができないかなどと盛り上がりました。

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えんがわサロンの様子。お酒を飲みながらがいつものスタイル。※福井くん撮影

 

 次の日は、サロンにも参加してくれた加賀田さんに、棟梁として建てた家を案内してもらいました。市内でも古い住宅団地です。角を曲がると突如外壁のしっくいの白さが際立つ家が現れました。家主さんにお話を伺うと、もともと奥さんの実家があったところに建て直し、3世代で住まれているとのこと。加賀田さんの筆書きのチラシをみて惚れ込んだのだとか。天井が非常に高く開放感のある家でした。お子さんたちが棟梁をおじいちゃんのように慕い、柱の落書きを見ながら、「10年経ったら、カンナかけて綺麗にしてやるけん」という会話を聞きながら、素敵な関係だなと羨ましくなりました。

 帰りがてら、「ここは子ども達が明るくていいお施主さんなんよ。だけん、なんとか希望を叶えてやろうと思って仕事する。儲けはでらんけどね。でもお金の関係だけですぐに建ててくれという人とは仕事はでけんね」という棟梁の話を聞きながら、新しいまちづくりの学校でも話しあった「おかげさま」の視点を思い出しました。

 今回の視察では、かとうさんはほとんど写真を取っていません。しっかりとした信頼関係が構築されないと笑顔は撮れないそうです。四季を通じて糸島を訪れる中で関係を深めたいそうです。次回の予定は7月。それまでによい出会いの場をつくれるよう、今度は入念に準備したいと思います。

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壁紙の説明をする加賀田さん。

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見学させていただいた漆喰の家。素敵な家族でした。

※撮影:かとうゆういちさん(http://egao-no-tabi.jp/